あとがき
1981年9月 柴田南雄
『留学時代私談』は、父柴田雄次(1882~1980)が88才の1970(昭和45)年に書き記した文章である。父はこの年8月26日、前立腺肥大のため国立第二病院に入院したが、入院中にB5版罫なしノートに「病院雑筆」と題する感想文をボールペンを用い独特の崩し字で書き起している。
その第8ページ目から「留学時代私談」がはじまっており、短歌や漢詩の数ページを挟んで40ページにわたっている。その間、父は10月3日に退院したが、家に帰ってからも「その二」以下を書き続け、10月18日に閣筆している。
父はその直後、より詳細な「留学物語」を別のノートに執筆しはじめ、これは第5冊の4ページ目で中断しているが、内容はほぼ「私談」と同様で、ただ分量としては三、四倍にふくらんでいる。
この機会に、専門論文以外の父の遺稿について一言させていただくと、まず、昭和17年元旦から死の二日前、すなわち昭和55年1月26日までの日記が完全に揃っており、手帖、博文館の当用日記、ノートとりまぜ106冊にぎっしり書き込まれている。
それ以前の日記帖は、明治41年と明治43、44年の2冊が、東大の化学教室に置き忘れられていたために偶然に残った以外、大久保(新宿区百人町二丁目)の家と共に戦災で失われた。
短歌と漢詩は『歌稿詩稿』(昭和44年、私家版僅少部刊行)のあと「續歌稿詩稿」が原稿のまま残されている。
このほか、講演、祝辞、式辞、告辞が4冊のファイルに、定期刊行物に印刷された随筆、評論の切抜きが1冊のファイル、さらにこれとほぼ同種の、ファイル1冊分のバラ原稿がある。
「留学時代私談」の印刷刊行が成ったのはひとえに酒井勝郎先生の御好意の賜で、記して厚く御礼申上げる。先生が判読して下さった文字だけでも、かなりの数に上る。
なお、句読点や送りがなを補い、かな使いの誤用を改めるなど、必要最小限の手を加えた。
留学時代私談 柴田雄次遺稿 昭和57年4月28日発行