東京都立大学第七回学部入学並に第三回大学院入学式々辞
昭和三十年四月七日

 本日茲に本学々部入学生四百拾七名、又大学院修士課程入学生四拾六名を迎えて入学の式を挙げることは本学教職員一同の喜びであり又志願者三千七百名の内から難関を突破して目的を遂げた入学生諸子及びその父兄の方々の甚大な喜びでもあろう。そしてこの駘蕩たる春日にふさわしい慶祝の気がこの堂に充ちているに際し、一言式辞に代えて新入学の諸子に大学の本貭と学習の態度に就て述べて置きたいと思う。
 私はこの事に関しては此席で年々殆ど同じ事を繰り返すのであるが、それは大学に関して原則的のことであり、この原則には変化を見ないからである。然らばこの不変の原則を高校卒業生が心得ているかと云えば恐らく大部分の人々はその認識が不足していると思われる。諸君が今日まで十二年間に亙っての学校生活は、六三の義務教育は勿論、三年の高等普通教育にせよ、その教育課程の内容は文部省によって定められた枠があり、大体國定若しくは檢定教科書によって各学科が教えられて来た。そして学校教育法という法律で与えられている小中高校の三種の学校の定義にも、中学は小学六年間の身心の発達に応じてその基礎の上に、又高校は中学教育による心身の発達に応じてその基礎の上に、それぞれ教育が施されるという文句がある。一言にしていえば以上三種の学校教育は上下一連のもので互に密接の関係がある。處が同じ法律の大学の項には次の定義か掲げられている。
 大学は学術の中心として廣く知識を授けると共に深く専門の学藝を教授研究し、知的、道徳的、及び應用的能力を展開させることを目的とする。即ちこの定義の内には教育を施すという文字は消えている。しかし勿論大学と雖も教育の場であることに変りはないから、一般教養と専門知識とが授けられはするが、これが決して文部省できめられた課程等というものによるものではなく、各専門学術の研究家である教授によって自由に講じられる。教授方は常時専門学の研究に精進して居られるから学内には研究的雰囲氣が醸成せられ、この雰囲氣内の教育によって、諸君は前述の大学の定義である知的道徳的並に応用的の能力を自ら展開する人が勉強するのであって、同じ教育でも諸君か従来受け来った高校以下の教育が他力本願的であったのに反し、大学の教育には自己育成的の要素が多くなければならない。即ち大学は教育と研究の道場、更に概念的に云えば真理探求と人間完成の道場である、というのが大学の理想の性格である。
 さてこの如く大学に於て講じられる学術には何等規定せられた枠はなく、最高最新の知識が与えられる處に学問の自由という意義があり、これは憲法でも規定せられている。学問の研究は自由であり人為的拘束のない處に学問の進歩がある。学問するものは専ら真理を目指して進む。かくして近世科学の飛躍的発展が行われたのであるが結局学問を進歩させたものもこれの結果を応用するものも人間である。それ故人間の考えの向け方一つで学問の結果は善とも悪ともなる。これを思えば科学の進歩した現代人は義務として高い教養を持ち良識によって科学の応用を専ら人類の福祉に向けるよう心掛けなければならない。今日大学教育が専門知識の教授という一面に限られず一般教養による人間完成ということをも一課題としているのは、現代驀進する科学進行の軌道を、人道の上に載せる能力と道徳とを持たせる為めで、諸君はよく新教育の真の意義即ち知識偏重でないことを忘れないよう学問の勉強と共に人間完成に向う自省自修を怠ってはならない。上述のように、大学の教育の理想的内容は最高最新の学術の習得と人格完成とにあるが、社会は屡々大学に職業教育を要求して、新制入学卒業生に対して知識の程度の降下を嘆く声を聞かしめるのである。しかしこれは社会がいまだ新教育の真意を了解せず、卒業生を採用の日から己が欲する機械の如くに使用せんと考え、只知識のみを要求し、人間の価値か知識、教養、良識、の三要素の均衡によって定まること忘れているからである。大学教育は断じて職業教育ではなく、職業は諸君が四ケ年の大学教育によって得た人間的価値を社会のそれぞれの方面に利用せしめるのであって、職業に媚び、小手先の知識獲得のみに沒頭すべきではない。勿論諸君の卒業期には大学として諸君の就職には最善の手段を講ずるが、教育は就職の為めに行うのではないことを呉々も認識して頁いたい。
 本学は人文、理学、工学の三学部があり、昭和二十四年開学当時は三学部を通して六十六講座であったが其後年々その増設を計り、三十年度の二講座増設を加えて目下九十二講座でありこれは尚充分とは云えぬか現代学術の講究に遺憾なき努力が諸教授によって拂われている。
 尚開学以来既に六星霜本学の学風即ち学園を政事の影響より遠ざけ学問の自由を護り明朗清純活達常に高き品位を保つことが傳統となりつつある。諸君もこの学風の達成に努力して本学の聲誉を愈々昂めんことを希望する。大学生活は青年時の最も意義あり且つ最も愉快にして人生に最も思い出多き一齣である。諸君の身心は若さにあふれ頭腦は柔軟で容量に冨み知識の吸収は正にこの時期に行うべきであり、又筋肉は彈力に冨み骨格は充分に発育し如何なる運動にも疲労を感ぜしめない。この人生の花咲き盛る時機によく勉めよく遊び倦くまで大学生々活を享受すべきである。

東京都立大学第五回卒業証書並に第三回修士学位記授與式々辞
昭和三十二年三月二十五日

 本日この陽春の佳日に當り東京都立大学第五回の卒業証書授与並に第三回修士学位記授与の式を挙げることは年々この季節に於ける年中行事の一つであり本学の一慶事である。かく毎年の事ながら私個人としてこの式場に臨みこの壇に登ることに常に何か新しい一つの盛儀に際會するような厳粛な又歓喜に満ちた心のときめきを覚えるのである。これは恐らく行事そのものの内容は年々同一型式で進行して別に新奇な事はないがこの内容の構成分子である卒業生諸君は常に新陳代謝し所謂歳々年々人不同でこの新しい分子の集団から放射されるエマネーションが年々新しい性貭を以て吾人に不思議な影響と剌激とを与える結果に違いない。
 さて茲に日ケ年の螢雪の功を積みそれぞれの学部の課程を終え又ニケ年間それぞれの大学院研究科に於て研究に従事し修士課程を修めた諸君に対し私が送らんとする祝辞は決して単なる形式的辞令ではなく衷心からはとばしり出でた歓喜の情を以てする祝詞である。
 本年この喜びを受ける人々は学部卒業生三百九十八名、修士四十五名で学部卒業生が定員の四百名に殆ど等しいことは昨年の四百十名と共に二度目であるがこれは本学の教育が・正に軌道に載ったことを証するもので即ち四年前本学の校門をくゞった人が支障なく再び校門を出て行くことを意味しこの点は吾人に取り特に意義あるものとして喜ばしく感ずる次第である。
  既に諸君も承知し居られる如く私は本月末日任期満了を機として本学々長の椅子を下って過去殆ど半世紀に及ぶ大学教育に終止符を打つこととなった。これも一種の卒業とも云えるが諸君が洋々たる前途の希望に胸を張って校門を出でるアメリカ人の所謂コンメンスメントとは逆に私は社会に背を向けて静に柴の扉を閉ぢんとしているフィニッシュメントである。さてこの私の五十年に及ぶ長い人世行路は勿論平凡極まるものでこの間何等重畳たる波瀾や絢爛たる場面もなくさりとて坦々たる大道を駟馬に鞭って疾駆したこともないが、この長の旅路に体得した若干の経験や感想がないわけではない。若しこれが他山の石として幾何の参考を諸君に提供しうるならば祝詞に添える餞として無意義でもなかろう。かく考えて私は前四回の卒業式に当っても誠に素朴な處世小哲学を述べることを例とした。何れも断片的で互に脈絡のないものであるが今日はこの私に与えられた最後の機會を利用し物の考え方ということに就て少しく語らして貰い度い。
 凡そ人類の亨有する自由の内無限最大なものは恐らく思考の自由であろう。しかしかような無限の自由度を有する思考は純粋な思考で若し行動に先行する思考であるなら最早その自由には限度がある。これは勿論社会に於ける人間の行動の自由は種々の制限を受けるからである。かくの如く『事を行うに当って先ず考える』ということは恐らく人類の特徴であり勣物の行動の殆どが本能に基くのと画然たる差異がある。
 物を考えるに当っての対象としては自然現象あり物あり他生物ありそして自分と同類の人間がある。自然現象や物貭や他生物に対する考え方は整理せられて自然科学となり多くの法則を生み今日多大の発達を遂げ諸君は既に大学に於てその基本を学んだ。同類の人間を対象とする考えでも科学にまで整理されたものは今日皆学問の分野となっている。哲学や法律や心理学や或は医学の一郎もこの内に入るであろう。
 處がこゝに日常の社会生活とこれを構成する人間に対處する考え方は慣習的の道徳以外にはこれを律するものが何もないと云ってもよい。何故と云うに人間生活というものは生々流転し時々刻々の変化をなし又十年二十年等の長期に及べば.更に格段の変遷を見せこゝに科学としての法則の據とすべきものが全くないからである。諸君は今日よりかような北極星もなく羅針盤もレーダーも利かない社会の荒波の只中い乗り出さうとしているのである。従て頼りとする處は諸君が学び取った知性と正義感ーこれは信仰のある人は宗教で置き代えてもよいーとを基盤としての思考的判断で一つ一つ乗り切って進む外はないのである。即ちこゝに人類の特権としての事を行うに当っての思考が存在する。
 パスカルはいみじくも喝破している。
L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant.
(編注:人間は、自然のうちでもっとも脆い葦でしかない。しかし人間は考える葦である。)
 尚彼は更にこうも言っている。
L'Univers n'en sais rien. Toute notre dignité consiste donc en la penseé....Travaillons donc à bien penser: voilà le principe de la morale.
 勿論、パスカルの云うパンセーは世俗的な社会に處する場合のものではなく高い精神的なものであるにせよ彼が人類の尊厳は考えることにありとする思想は吾人は銘記すべきである。
 孔子も 学而不思則罔 思而不学則殆 と云っている。
 (編注:学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。)
 さて立戻って處世の問題であるが、先にも述べた如く高い知性と正義感をバックボーンとし更に実行に必要な要素は何であろうか。それにもいろいろあろうが私が長い旅路に常に身辺に携えてこれを用いて謬りなかったと考えるものは人に対して寛容と謙虚と善意の感情であり障害となるものはこれに反する憎悪と猜疑と傲慢であると思う。次に考うべきは事を見る視野の廣さと深さである。これは私は自分に欠乏している要素なることを熟知するだけに諸君にはその養成を特に勧めたい。諸君よ、若し諸君が社会に於て何等かの難関に遭遇せば先ず知性を働かせてその事柄を分析せよ。人には寛容であり善意を以って接せよ。そしてその事象の周辺と奥行の深さとを熟視して結果と影響を熟考せよ。
 象棋の勝負に讀みの深さということがある。何事にも三年四年の先を洞察する明を時つことは萬事に通じて必要な心掛であると信ずる。獨善、傲慢、憎悪、猜疑、軽卒、皆失敗の素因でないものはない。
 さて最後に知事を始め来賓の方々に一言御礼を申上度い。本日は御多用中態々臨席の栄を賜りこの卒業式に光彩を添えられたことは本学の教職員一同の感激する處である。又卒業生父兄の方々は多年子弟を家庭に於て無限の慈愛を篭めて保育指導しかくて今日の栄を得られたそのお喜ぴは誠に察するに余りありで深く祝賀の意を表する。
 さて本学も開学以来八年決して今日まで順風に帆を挙げて平穏な航海をつずけ来ったわけではない。昨年昼夜開講による勤労青年に対する教育方法に関し違法としてその筋より注意があり学内を挙げてこの問題を攻究しこれに対處する一つの結論を得て目下新学則の申請中である。本年は開学八ケ年目故七ころぴ八起の意氣にて本学の将来の発展を祈る次第である。
 尚本年は経常予算三億二千萬円に新規事業費一億余が認められ二講座の増設、研究費の増額、学生ホールの新設、理学部の完成、人文学部を人文と法経両学部への分割等何れも本学の前途を明かるくする施設が進行する機を得た。これ偏に設立者知事公始め都の理事者の方々又都議会の議員諸彦の蔭になり日なたになっての本学への好意に満ちた後援のあらわれでこれは東京都の文化高揚学問の尊厳への理解の深さに外ならない。私は今この学園を去るに當り改めて深くこの方々に感謝する次第である。

別辞(都立大を去るに当り全学生の前で述べたもの)

 諸君とは入学の式に際して壇上から見参して一言入学式の訓辞を述べた外には遺憾ながら教壇でまみえたことはない。従て諸君に取っては誠になじみの薄い学長であったに違いない。
 伝統の古い学園では屡々初代の学長の精神的遺訓がよく守られ学風を為すことがある。福沢諭吉の慶応義塾に於ける、新島襄の同志社に於ける、大隈重信の早稲田大学に於ける等々これ等の大学に於ては今日もその創立者の精神は伝えられ学園は各その特色を世間から認められている。處が國立公立の学校というものは学校の設立が國家なり地方自治体なりで必要と認められ先ず機構が出来た上で学長が探し求められるというわけでその運営は学校教育法という法律の枠内で大体行われなければならない。
 しかし本学の如く教官も一流の人々が揃えば良識ある民主的運営により学校の方針というものが一応比較的短年月即ち五年十年の間には出来上り更に三十年五十年経つとそろそろ伝統というものが出来て来る。私は学生諸君が経営しているいろいろの同人雑誌のようなものに頼まれゝばそれこそ萬障繰り合せて何か短文を綴って感想を述べるのを常としたが最後に評論都立大学(これは惜しくも終刊になったらしいが)の十二月号に大学と伝統という拙文を敵せた。これには学園がよき伝統を作ることの必要性を書いたつもりである。そしてその最後の處に『大学構成要素の大半を占める学生諸君もよき伝統の育成に対し相当大きな責任を担っていることを忘れてはならない。即ち例えば健全剛毅な気風、明朗にして品位ある挙止、知識に対する絶えざる欲求等は何れも最も望ましい伝統育成の要素である。若し三十年五十年にしても学園によき伝統が育成されなければ山間の小川はいつかその流れの姿を見失って永久に大河として社会を潤し人生に貢献する機会を失って大学としての使命に疑問が持たれることゝなろう。』と結んでいる。これは今日諸君の前で今一度強調したい私の考えである。
 私は諸君の入学式に臨んでいつも殆ど同じことを述べた。それは大学の歴史と理念で大学が如何に六三三の学校と違う特殊性を持つかを諸君に知って貰うことをつとめ、大学は研究と教育の場で決して職業を得る手段を教える場所ではないということも殆ど毎回強調したから記憶している人もあろうと思う。職業というものは諸君が大学で習得した学問或は学問の尊さを感じたということだけでもよいが兎に角諸君が四ケ年間に研究者であり学問の求道者である先生方に接して知的に成長したその身心を世間に利用させるのである。少くとも諸君はその誇りを持たなければならない。
  又私は五回の卒業式に当ってその式辞の内で卒業生に贈る餞の言葉として誠に素朴なものではあったが断片的の處世小哲学を語り来った。第一回には均衡の取れた知性、第二回には信念、第三回には人間完成の道程、第四回には勇気、そして本年の第五回目の別れの卒業式では物の考えかたという題であった。いずれも常識の域をでないつまらぬ内容かも知れないがせめてその題目でも記憶して貰えば幸いである。
 私は限りなくこの学園を愛する。そして日本の首都たる東京の文化の中心であり代表であるにふさわしくよき伝統をもつ大きな大学に発展することを望み且つこれを疑わない。文化というものは何か。私は学術技術藝術の三術が渾然として均衡の取れた現象と考えている。そのいずれが欠けても跛行的で真の文化とは云われない。日本の民族文化は近来世界的に高く評価されるようになった。これは天平平安に基礎が据えられたものであるが、日本民族の文化がいつまでも祖先によって築かれたものに依存してはならない。江戸文化がいつまでも元禄化政の文化を謳歌してばかりいては子孫にすまない。昭和の東京文化を創造するものは東京都立大学であり諸君でなければならない。
 現総長矢野博士は英文学の泰斗であり本邦で高名な学者であり又諸君の師であられた。即ち諸君にはなじみの深い総長である。諸君はよく総長の教育方針に信頼し学問を好み自由と正義とを愛し凡ての美しきものを賛美し青年らしく明朗に健康にそして常に人間として品位を失わない挙動によって大学時代という一生涯の内で最も楽しく最もかゞやかしい時機を過ごすことを忘れてはならない。それを希望して挨拶の言葉とする。  

後記

昭和60年 野ロ喜三雄

 柴田先生は昭和二十四年四月東京都立大学が設立されました際初代総長として就任せられ、二期即ち八年間在職せられて昭和三十二年三月御退任になりました。本稿は先生が都立大学で入学式や卒業式等で述べられた式辞の原稿を令息南唯様の御承諾をいたゞいて印刷したものであります。先生は都立大学のそのような式の式辞をその都度新に作成せられて居り、それぞれ先生の大学教育についてのお考えを承ることが出来る貴重な資料でありますが、今回は取り敢えず昭和三十年四月七日の第七回学部入学並に第三回大学院入学式式辞と先生の都立大学における最後の卒業式であった昭和三十二年三月二十五日の第五回卒業証書並に第三回修士学位記授與式式辞及び都立大学を去るに当り全学生の前で述べられたお別れの言葉を印刷しました。

あとがき

酒井勝郎

 『先生のお宅に残っていた原稿は、達筆の崩し字で、変体仮名まじり、句読点がかなり省略してあります。編集の方々に度々お集りいただいて校正を致しました。
 この作業では、先生のお考えを損なわないようにと思いまして、仮名づかいや用字等で、現今の当用でないものが随所に残って居ります。しかし変体仮名は皆平仮名にかえさせていただきました。

柴田雄次先生の遺稿  『東京都立大学に於ける式辞と別辞』

出版者  柴門会
編集者  木村健二郎 内海誓一郎 野口喜三雄 酒井勝郎 岩崎友吉 大ハ木義彦
印刷所  酒井九ポ堂
発行日  昭和六十年五月二十八日



柴田雄次詩文集
サンガクシャ